2024/04/10
煩悩について(編集中
108あるといわれる煩悩を一覧にしました
http://michiten.web.fc2.com/108bonnou.html

お寺でお見かけする6体の地蔵について、なぜ6体なのかお尋ねしたところ
「6煩悩」が由来となっているとお聞きしました。6煩悩を勉強したら108煩悩に行きつきました。
108煩悩の一覧を探したら無かったので作りました。それが上の表です。
まず、6煩悩とは
貪:むさぼり
愼:いかり
痴:ぐち、おろかさ
慢:あなどり
疑:うたがい
見:悪い考え
これが、6根(6識)という感覚に作用していて・・・この6根は般若心経の中にありますね
①眼:見る
②耳:聞く
③鼻:嗅ぐ
④舌:味わう
⑤身:感じる
⑥意:思う
→6
6根のそれぞれに3つの感情(3不同)があり執着が生まれ
①好き:好
②嫌い:悪
③どうでもよい:平
→3
さらに2つの感覚(染浄)が作用します
①染:苦しい
②浄:楽しい
→2
またさらに三世に及ぶことで108煩悩となる
①現在
②過去
③未来
→3
・・・・・6×3×2×3=108
このほかにも108煩悩には諸説ありますので、この考えが正解とは言いません。
百八煩悩について
http://rokkonshojo.blog98.fc2.com/blog-entry-47.html
除夜の鐘の百八は煩悩の数とされます。この百八煩悩とは九十八随眠(きゅうじゅうはち ずいめん)と十纏(じってん)を合わせたものです。
98(随眠)+10(纏)=108
今回は九十八随眠のもととなる六随眠・十随眠、すなわち6種類ないし10種類の根本煩悩について見ていきたいと思います。ただでさえややこしい話ですから、余分なことは抜きにして、さっそく六随眠の一つひとつを見ていきましょう。
1.貪(とん)…貪愛(とんあい)ともいいます。むさぼり。貪欲。執着。激しい欲望。いわば、心の奥底から生じる自分ではコントロールできない欲望で、迷いの生存(六道の世界から脱出できずに輪廻する)の根元です。
2.瞋(しん)…瞋恚(しんに)ともいいます。怒り。腹立ち。憎しみ。憎み怒ること。自分の思い通りにならないものに対して湧き起こる怒り。心身を平安にさせない心の作用です。
3.癡(ち)…愚癡(ぐち)あるいは無明(むみょう)ともいいます。愚かな心。ものの道理がわからないこと。迷い。真理に対する無知(この世界が縁起による「諸行無常・諸法無我」の世界であることがわからない)であり、そのためにすべての誤った行為(悪業)の原因となりますから、煩悩の根本とされます。
※貪・瞋・癡の三つは、煩悩の中でも特に根本的で、悪の根源とされることから「三毒(さんどく)」と呼ばれます。
4.慢(まん)…慢心。おごりたかぶり。自分は他人より優れたものであるとして、他人に対して誇りたがる心の作用。
5.見(けん)…間違った見解。間違ったことを正しいと思い込み、正しい道理を知らないこと。
6.疑(ぎ)…仏法(真理・正法、といっても幸福の科学の教えではない…あれは「見」なので)を疑う心。仏法というのは、苦しみや迷いを滅する教えですから、それを疑っていたのでは幸せにはなれないでしょう。
以上が六随眠です。そして、このうちの「見」を五つに分けて十随眠になります。その五つに分類した「見」を「五見(ごけん)」といいます。以下の通りです。
1.有身見(うしんけん)…自分の肉体や心を「われ」であるとか「わがもの」と執着すること。自分の肉体や心も縁起によって形成され、刻々と変化し続けているものであり、自分の自由にはならないものですから、「われ」であるとか「わがもの」であるとはいえません。
2.辺執見(へんしゅうけん・へんじっけん)…極端な考え方に執着する見解。仏教の教学的には、断見(自分は死んだら無になるという見解)と常見(死んでも存在し続ける)という二種の極端な見解を指すとされます。物事を何でも白か黒かに分けて、そのどちらかに執着する、バランスを欠いたものの見方です。
3.邪見(じゃけん)…因果応報を認めず、罪や功徳、善悪の果報といったものはないという見解。最近の日本には、仏教者を称しながら因果応報を否定する邪見の人が少なからずいるようです。道元禅師は「邪見の輩には群すべからず(邪見の人の仲間になってはいけない)」とおっしゃっています。
4.見取見(けんしゅけん)…誤った見解をもっとも優れた見解であると執着し、また、それによって悟りに到達することができると執着する見解。お互いに自分の執着するところをもっとも優れていると考え、他は劣っている・誤っているとする見解。前半はともかく、後半について当てはまる宗教者は多いのではないでしょうか。特に明治神宮外苑のそばとか富士山の麓とかにはたくさんいるように聞いています。
5.戒禁取見(かいごんしゅけん)…誤った見解(仏教の立場からは仏法以外の教え)に基づく戒律や禁制が悟りに至る方法であると執着すること。
以上の六随眠と五見で十随眠となります。
この十随眠は、学習と修行によって徐々に消滅していきます。その消滅の過程に基づいて98に細分化したのが九十八随眠です。
今日は九十八随眠(きゅうじゅうはち ずいめん)について見ていきます。
http://rokkonshojo.blog98.fc2.com/blog-entry-48.html
随眠(ずいめん)というのは根本煩悩のことであり、貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)・慢(まん)・見(けん)・疑(ぎ)の6種類があり、六随眠といいます。この六随眠のうち、「見」を五つに分けると合計10種類になります。これを十随眠といいます。
この十随眠は、学習と修行によって徐々に消滅していきます。その消滅の過程に基づいて98に細分化したのが九十八随眠です。昨日はここまで説明しました。
では、どのようにして98になるかを説明していきたいと思います。
まず、十随眠を三界・五部に分けます。
三界とは衆生が六道の迷いの生存(輪廻)を繰り返す世界を欲界・色界・無色界の三つの世界に分けたものです。
・欲界(よくかい)…欲望の支配する世界。食欲・淫欲・睡眠欲の三欲がある世界。無間地獄から人間界、下層の天界までを含む。
・色界(しきかい)…清らかな物質から成り立つ世界。欲界の汚れを離れ、欲望を断じたが肉体を持つ者が生存する世界。欲界の上にある天界。
・無色界(むしきかい)…物質の存在しない、精神的要素のみからなる世界。
この三界を超えた世界が仏様の悟りの世界ですから、欲界から色界、無色界の順に修行のレベルを表しているといってもよいでしょう。
五部とは、まず煩悩を「見所断(けんしょだん)」と「修所断(しゅうしょだん)」の二つに分けます。見所断とは真理(仏法)を理解することによって断ち切ることのできる煩悩、修所断とは修行(瞑想)を実践することによって断ち切ることのできる煩悩です。
見所断は見苦所断(けんくしょだん)・見集所断(けんじゅしょだん)・見滅所断(けんめつしょだん)・見道所断(けんどうしょだん)の四つに分けられます。仏法の基本は四聖諦(ししょうたい)、すなわち四つの聖なる真理とされますが、その四つの真理に対応して見所断を分類するわけです。
・苦諦(くたい)…この世は苦である(縁起による諸行無常・諸法無我の世界であって、思い通りにはならない)という真理。
・集諦(じったい)…苦の原因(苦を集め起こすもの)は煩悩であるという真理
・滅諦(めったい)…苦の滅した状態は理想の境地であるという真理
・道諦(どうたい)…八正道こそが苦を滅する道であるという真理
以上四つをまとめて苦集滅道(く・しゅう・めつ・どう)といいます。
ですので、例えば見苦所断とは「この世は苦である」という真理を理解することによって断ち切られる煩悩ということになります。
この見苦所断・見集所断・見滅所断・見道所断に修所断を合わせて五部となります。
そして十随眠と五部の関係ですが、まず、見所断には十随眠のすべてが含まれますが、修所断に含まれるのは貪・瞋・癡・慢の四つだけです。というのは、五見と疑は知情意のうち理知的な側面にのみ関わるため、真理を理解することによって断ち切られるからです。それに対して、残りの四つは情と意に関わるため、真理を理解するだけでなく、修行(瞑想)の実践が必要になります。
また、欲界には十随眠すべてがありますが、色界・無色界には瞋がないとされます。思い通りにならないからといって腹を立てるようなことは、早々に卒業しなければならないということになるでしょうか。
五見のうち、有身見と辺執見は、自分という存在が縁起によって生じた無常・無我なるものである、つまり苦諦についての誤った見解なので、見苦所断にのみ含まれます。
また、戒禁取見は誤った見解に基づく戒律や禁制が悟りに至る道だと執着する見解で、八正道すなわち道諦の否定ですから、見道所断に含まれます。また、その誤った見解や戒律・禁制は縁起によって成立した無常・無我なるものであり、その無常・無我なるものを絶対的なものとして執着しますから、見苦所断にも含まれます。
邪見は縁起・因果応報の否定で、四諦すべてを否定しますから、見苦所断・見集所断・見滅所断・見道所断すべてに含まれます。また、見取見は四諦ではない誤った見解をもっとも優れていると見なすわけで、やはり見苦所断・見集所断・見滅所断・見道所断すべてに含まれます。
以上を整理すると下の表のようになります。

煩悩には根本煩悩(こんぽんぼんのう)と枝末煩悩(しまつぼんのう)があり、随眠(ずいめん)とも呼ばれる根本煩悩は六種類(六随眠)または十種類(十随眠)に分類されます。
これに対して枝末煩悩は随煩悩(ずいぼんのう)とも呼ばれ、根本煩悩が起きるとき、それに伴って生じる二次的な煩悩のことです。随煩悩には19種類あるとされますが、そのうち特に重い10種を十纏と呼びます。
纏(てん)とは「まとわりつくもの」という意味で、心の底にある悪への傾向が形になって現れ、私たちの心や体にまとわりついて、自由にさせない(悪のほうに引きずっていく)ということから、そう呼ばれます。
それでは十纏を見ていきましょう。
1.無慚(むざん)…はじらいのないこと。自分自身に対して、罪を罪として恥じないこと。
2.無愧(むき)…恥じ入る心のないこと。破廉恥。他人に対して恥じないこと。
※無慚は自分自身に対する恥じらいがない、無愧は他人に対する恥じらいがないこととされます。慙愧の念という言い方もありますが、これは自分自身に対しても他人に対しても恥ずかしいという意味になります。
3.嫉(しつ)…ねたみ。嫉妬。
4.慳(けん)…ものおしみ。
5.悔(け)…後悔すること。(後悔のない心は心身を軽やかにし、瞑想が深まっていく。しかし、後悔する心は瞑想を妨げる)
6.眠(みん)…睡眠。この心が起こると、心が暗くなり、身体が自由ではなくなって、瞑想に入れなくなる。
7.掉挙(じょうこ)…心が高ぶって静まらず、騒がしく浮動すること。躁状態。
8.惘沈(こんじん)…心が滅入って、ふさぎ込むこと。鬱状態。
9.忿(ふん)…自分の思い通りにならない対象に対して怒りの心を起こすこと。相手を殴ろうとするような怒り。
10.覆(ふく)…自分の犯した罪を覆い隠す心。
以上、十種類です。まあ、いろいろと思い当たるところがあるのではないでしょうか。
この十纏と九十八随眠を合わせて百八煩悩となります。
98(随眠)+10(纏)=108(煩悩)
こうして見所断が88、修所断が10、合計98になります。これが九十八随眠です。そして、これに十纏(じってん)を加えて108になり、百八煩悩となるわけです。
